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長池博子先生のご逝去を悼む

弔 辞

一月十五日午前十一時三十分、主治医であり女医会会員でもあるオープン病院の進藤百合子先生から長池博子先生の訃報が知らされました。大きな支えを失った悲しみが押し寄せてまいりました。七十九歳の時、難病の骨髄炎で片脚を切断し、車椅子の生活を余儀なくされた後も、人を惹きつける輝きは失われることなく、いつも輪の中心におられました。

先生の信条は「自分に厳しく、他人には寛大に」であり、これは歯科医師で女性として仙台で初の開業医である母上の教えでもありました。

先生は吉岡弥生先生を慕い、昭和十五年、東京女子医専に入学いたしましたが、翌十六年に、日本は太平洋戦争に突入いたしました。吉岡先生からは毎月講話があり、医師の資格は嫁入り道具ではないこと、医学校に入ったからには生涯医師として世の人のために尽くすこと、この学校があるのは夫の協力のお陰だといつも感謝の言葉で結ばれました。

昭和十九年、先生は東北大学医学部産婦人科学教室に入局しました。理由は二つありました。一つは健康な子どもは健康な母親から生まれるということ、もう一つは当時助教授であった九嶋勝司先生の「女医でも仕事をすれば助手にでも講師にでもしてやるよ、意欲次第だ」、女性蔑視で男女の格差が歴然とした時代でしたが、この言葉に励まされ先生の人生が始まりました。

日本女医会宮城県支部は昭和三十三年に発足しました。先生は創立メンバーとして尽力し、昭和五十九年から六年間宮城県女医会第三代会長として活躍されました。第十回と第三十五回の二回、日本女医会総会を仙台で開催され、昭和六十三年、日本女医会吉岡弥生賞を受賞されました。宮城県女医会は平成二十年、五十周年を迎えました。半世紀にわたり女性医師相互の研鑽・親睦、社会貢献、キャリアアップに努力してまいりましたが、平成三年からは先生のご提案により、若手女性医師に対する研究助成金授与がはじまり、今年度で二十回目となり授与者は四十二名になりました。平成十三年、前千葉県知事堂本暁子氏の市民公開講演会「女性の健康・女性の医学」の開催をきっかけに平成十四年、女医による女性健康相談室を立ち上げました。現在は宮城県と仙台市からも助成を受け、会員の半数が協力する事業に成長しております。

これだけのことをなさりながら家庭も大事にされ、三人のお子さんを立派に育て上げ、ご主人とは九十歳まで連れ添い、ワークライフバランスを見事に実践されたのです。

先生はいくつもの大病を乗り越えいつも不死鳥のようによみがえってまいりました。残された者は深い悲しみと喪失感に見舞われております。今先生は自由を得、立ち、歩き、走り、羽ばたいていることでしょう。

ここに偉大な女性医師の功績を讃え、巡りあえた幸せに感謝し、お別れの言葉といたします。

合掌
平成二十三年一月十九日
宮城県女医会
会長 鈴木 カツ子
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